これは、マーケティングの理論から始まった話ではありません。
人との出会いに育てられ、山で学び、仕事の現場で気づかされた、一人の人間の物語です。
「スキーもやるよ。」が、人生を変えた。
人生を変える出来事というと、多くの人は大きな決断を思い浮かべるかもしれません。
進学、就職、結婚、起業。
でも、私の場合は違いました。
人生を変えたのは、たった一言でした。
「スキーもやるよ。」
中学生のとき、友人からそう誘われたことが、すべての始まりです。
当時の私は、登山にまったく興味がありませんでした。
小学生の頃は、毎日真っ黒になるまで野球をして遊んでいました。
勉強はあまり好きではありませんでしたが、不思議と成績は悪くなく、小学校の担任の先生から「中学受験をしてみてはどうですか」と親に話があったほどです。
親はその気になり、私は塾へ通うことになりました。
でも、本人は勉強が好きではありません。
結局受験はせず、中学へ入ると成績は見事なくらい下がっていきました。
今振り返ると、それも私らしかったのだと思います。
興味があることには夢中になる。
興味がないことは、なかなか続かない。
そんな子どもでした。
小学生の頃の私は、よくふざける子どもでした。
クラスの男女の仲も良く、放課後になれば一緒になって遊ぶ。
男だから、女だからということを意識した記憶はあまりありません。
今思えば、とても自然な空気だったのだと思います。
だからこそ、中学校に入って友人からワンダーフォーゲル部へ誘われたときも、特別な期待はありませんでした。
「登山なんて興味ないよ。」
そう答える私に返ってきたのが、
「スキーもやるよ。」
という一言でした。
その一言で入部を決めた私も、ずいぶん単純だったと思います。
でも、人生とは案外そんなものなのかもしれません。
あのときの選択が、四十年以上続く趣味になるとは思ってもいませんでした。
山へ行くたびに、新しい景色がありました。
季節が変われば、同じ山でもまったく違う表情になります。
雪のある山もあれば、新緑の山もある。
厳しい自然の中に身を置くこともあれば、山小屋で仲間と笑いながら食事をする時間もありました。
私はいつの間にか、山そのものよりも、山で過ごす時間が好きになっていました。
当時は、まだ気付いていませんでした。
その時間が、自分の考え方を少しずつ変えていることにも。
その経験が、何十年後の仕事につながることにも。
もちろん、そんな未来を想像したこともありません。
ただ、一つだけ言えることがあります。
人生は、大きな決断だけでできているわけではないということです。
友人の何気ない一言。
偶然の出会い。
少しだけ気になって踏み出した一歩。
そんな小さな出来事が、気が付けば人生の土台になっていることがあります。
私にとって、それが
「スキーもやるよ。」
という一言でした。
人との距離が分からなくなった頃
中学生になってからの私は、小学生の頃とは少し違っていました。
小学校の頃は、よく笑い、よくふざける子どもでした。
誰とでも自然に話し、毎日外で遊ぶことが当たり前でした。
ところが、中学一年生の途中から、少しずつ自分を外に出さなくなっていきます。
理由は、一言では説明できません。
もちろん、楽しいこともありました。
自分で言うのも少し恥ずかしいですが、中学一年生の頃は、女子の同級生や先輩から声を掛けてもらうことも多く、バレンタインにはたくさんのチョコレートをいただきました。
周りから見れば、楽しそうに見えていたかもしれません。
でも、私の中では違いました。
楽しかった思い出よりも、人との関わりの中で戸惑ったことや、傷ついたことの方が強く残っています。
だからでしょうか。
私は少しずつ、自分のことをあまり話さなくなりました。
周りから見れば、冷めている人に映っていたかもしれません。
実際に、クールだとか、硬派だとか、ときには冷たいと言われることもありました。本人としては、そんなに格好いいものではなかったのですが。
でも、本当はそうではありませんでした。
人が嫌いになったわけでもありません。
むしろ、人にはずっと興味がありました。
だからこそ、人との距離を考えるようになったのだと思います。
そんな頃、私には一つだけ、安心できる場所がありました。
山です。
学校ではいろいろなことを考えていても、山へ行くと不思議なくらい気持ちが軽くなりました。
山では誰かを演じる必要がありません。
背伸びをする必要もありません。
歩くことだけに集中し、疲れたら休み、お腹が空けばみんなでご飯を食べる。
そんな時間が、とても心地よかったのです。
あの頃の私は、山が好きなのだと思っていました。
もちろん、それも間違いではありません。
でも今振り返ると、本当に好きだったのは山そのものではなく、
山で流れていた空気
だったのかもしれません。
その頃は、まだ理由なんて考えたこともありませんでした。
ただ、学校では少し息苦しくても、山へ行けば自然に笑っている自分がいました。
だから私は、休日になると山へ向かいました。
バブル景気で街が賑わっていた頃も、私は六本木へ遊びに行くことはありませんでした。
休日になれば、いつもの仲間と山へ向かう。
それが一番自然な過ごし方でした。
あの頃の私は、まだ知りません。
山で当たり前だと思っていた「あの空気」が、社会へ出ると決して当たり前ではないことを。
そして、その違和感が、何十年後に自分の仕事の中心になっていくことも。
山は、本音を隠せない場所だった
私は長い間、山が好きだから山へ行っているのだと思っていました。
もちろん、それは間違いではありません。
でも、今振り返ると、本当に好きだったのは山そのものではなく、山で流れていた空気だったように思います。
山では、不思議なルールがありました。
年齢や立場に関係なく、お互いを「○○さん」と呼びます。
先輩だから偉い。
後輩だから黙っている。
そんな空気はありません。
今では「心理的安全性」という言葉がありますが、当時はそんな言葉すら知りませんでした。
それでも山では、ごく自然にそういう関係ができていました。
そして、もう一つ大切なことがあります。
山では、本音を隠してはいけません。
「疲れました。」
「このルートは危ないと思います。」
「少し休みませんか。」
そんな一言が、命を守ることがあります。
もし、
「先輩だから言えない。」
「迷惑をかけたくない。」
そんな遠慮をしていたら、大きな事故につながることもあります。
だから山では、立場よりも本音が優先されます。
私は当時、それが特別なことだとは思っていませんでした。
それが当たり前でした。
だから社会へ出たとき、とても驚きました。
会議では、本当に思っていることを言えない人がいる。
「違う」と思っていても、空気を読んで黙ってしまう人がいる。
現場では気付いているのに、立場を気にして口にできない人がいる。
私は、それが不思議でなりませんでした。
山では当たり前だったことが、社会では当たり前ではなかったのです。
もちろん、会社と山は違います。
会社には組織があります。
責任があります。
役割もあります。
それでも私は、ずっと心のどこかで思っていました。
「どうしたら、山のような空気を会社にもつくれるんだろう。」
その答えは、すぐには見つかりませんでした。
でも今なら分かります。
私がずっと探していたのは、
「本音を引き出す技術」
ではありませんでした。
本音は、引き出すものではない。
安心して話せる関係の中で、自然に出てくるものなのです。
だから私は、会議の進め方よりも、場の空気を大切にするようになりました。
誰が一番偉いかではなく、誰もが安心して話せること。
正しい答えを探すことよりも、「それ、ちょっと気になる」という小さな違和感を口にできること。
その積み重ねが、新しいアイデアを生み、商品を変え、人と人との関係を変えていく。
私はそう信じています。
考えてみると、それは特別なことではありません。
中学生の頃、山で当たり前だったことを、大人になってもう一度思い出しているだけなのかもしれません。
「人を見てこい。」
社会人になり、私は銀行へ入りました。
営業担当として地域の企業を訪問し、経営者の話を聞く毎日が始まりました。
会社のことを知る。
経営者の想いを聞く。
地域の企業と関わる。
私にとって、とても充実した時間でした。
そんなある日、店長から声を掛けられました。
「中間、今度から融資をやってみろ。」
営業担当だった私が、融資担当になることになったのです。
当時の私は、少しうれしかったことを覚えています。
責任ある仕事を任された。
そんな気持ちでした。
すると店長は、最後に一言だけ言いました。
「常識、良識、見識を持ってやれ。」
短い言葉でした。
その時は、正直なところ、その意味を深く理解していたわけではありません。
でも、その後、もう一つ忘れられない言葉を掛けてもらいます。
ある会社の融資について相談した時です。
店長は私の話を最後まで聞き、こう言いました。
「中間がその会社を見て、貸してもいいと思うなら、俺はハンコを押す。」
その言葉に、私は驚きました。
銀行には審査があります。
数字があります。
決算書があります。
もちろん、それらはとても大切です。
でも店長は、最後に私へこう言ったのです。
「会社を見てこい。」
ではありません。
「中間が見てこい。人を見てこい。」
だったのです。
それは、数字だけでは判断できないものを見なさい、ということだったのかもしれません。
会社を支えているのは設備ではありません。
数字でもありません。
そこには必ず、人がいます。
そのことを、店長は私に教えようとしていたのだと思います。
その頃、忘れられない社長との出会いもありました。
その会社は、決算書ができると毎年必ず社長自ら銀行へ持ってきてくれました。
業績が良い年もありました。
苦しい年もありました。
それでも社長は、決算書を差し出しながら、いつも同じ言葉を口にしました。
「お陰様で。」
普通は営業担当が取りに伺っていました。
それでも毎年、自ら足を運んでくれたのです。
私は、その姿勢にいつも頭が下がる思いでした。
ある年、銀行がお客様との親睦旅行を企画したことがありました。
若手だった私は、一日中お客様のお世話で走り回っていました。
荷物を運び、案内をし、宴会の準備をする。
気が付けば、食事をする時間もありませんでした。
宴会が終わり、ようやく部屋へ戻ろうとすると、その社長から声を掛けられました。
「ちょっとおいで。」
何か失敗をしたのだろうか。
そう思いながら部屋へ行くと、社長は笑いながら言いました。
「ありがとう。
食事もろくに食べていないだろ。
ラーメン頼んでおいたから、一緒に食べよう。」
私は、その一杯のラーメンの味を今でも忘れていません。
一日中走り回っていた、一人の人間を見てくれていました。
私は銀行で、融資の知識を学びました。
決算書の読み方も学びました。
会社の数字を見る力も身につけました。
でも、人を見ることは、この店長と、この社長から教えていただいたように思います。
今振り返ると、このお二人には共通するものがありました。
店長は、若かった私を信じて仕事を任せてくれました。
社長は、若かった私を一人の人として接してくれました。
立場ではなく、人を見ていました。
私は、その姿を間近で見ることができました。
だから今でも思います。
人は、信じてもらえたとき、初めて本当の力を発揮できるのだと。
そのことを銀行で学んだからこそ、私は今でも、肩書きや役職ではなく、一人の人として向き合うことを何より大切にしています。
答えは、会議室ではなく暮らしの中にあった。
銀行を離れ、商品開発や企画に携わるようになってからも、私はずっと同じことを考えていました。
「どうしたら、本当に喜ばれる商品ができるのだろう。」
会議もしました。
アンケートも見ました。
市場調査も読みました。
もちろん、どれも大切です。
でも、どこか物足りなさを感じていました。
数字は見えても、人が見えない。
その違和感が、ずっと心の中に残っていたのです。
そんなある日、一人の生活者の何気ない一言に出会いました。
企業の会議では誰も気に留めなかった言葉でした。
でも私は、その一言が頭から離れませんでした。
「どうして、この人はそう感じたんだろう。」
そう考え始めると、商品そのものではなく、その人の暮らしが気になり始めました。
どんな家で使っているのだろう。
誰と暮らしているのだろう。
買うとき、何を考えていたのだろう。
私は、商品ではなく、人の暮らしを見たくなりました。
だから、会議室を飛び出しました。
買い物へ同行し、自宅へ伺い、一緒に料理をしたり、お茶を飲んだり、雑談をしたり。
最初から本音を聞こうと思っていたわけではありません。
むしろ、本音を聞こうとすると、本音は出てきません。
世間話をしている時。
商品とは関係ない話をしている時。
ふとした表情や、何気ない一言の中に、本当に大切な気付きが隠れていました。
私は、その瞬間が好きでした。
思い返してみると、それは銀行で出会った社長と話していた時間に少し似ています。
決算書を見ている時ではなく、雑談の中で、その人らしさが見えてきたように。
山でもそうでした。
歩きながら話している時に、お互いの本音が自然と出てきました。
結局、私はずっと同じものを探していたのかもしれません。
「本音を聞く方法」ではありません。
本音が自然に生まれる時間です。
その時間をつくるためには、安心して話せる関係が必要でした。
正解を求めないこと。
否定しないこと。
急がないこと。
そして、相手を「生活者」としてではなく、一人の人として見ること。
その積み重ねが、少しずつ相手の表情を変えていきます。
私は、その変化を何度も見てきました。
だから今でも思います。
良い商品は、会議室だけでは生まれません。
暮らしの中には、まだ言葉になっていない想いや、小さな違和感がたくさんあります。
その一つひとつを一緒に見つけ、育てていく。
それが、私の仕事になっていきました。
何気ない一言は、未来のヒントになる。
これまでたくさんの企業と仕事をさせていただきました。
新商品の企画。
既存商品の見直し。
地域活性化。
デザイン。
売り方。
業種は違っても、いつも同じことを考えていました。
「この商品は、なぜ選ばれるのだろう。」
会議では、たくさんの意見が出ます。
アンケートもあります。
市場調査もあります。
もちろん、それらはとても大切です。
でも、私は少し違うところを見ていました。
会議では誰も気に留めなかった一言。
雑談の中で、何気なく出てきた一言。
買い物をしながら、ふと口にした一言。
私は、そういう言葉が気になって仕方がありませんでした。
「かわいい。」
「なんとなく好き。」
「なんか気になる。」
企業の会議では、「もっと具体的にお願いします。」と言われそうな言葉です。
でも私は、その曖昧な一言の中にこそ、本当に大切なヒントが隠れているように感じていました。
だから私は、「答え」を聞こうとはしません。
「どうしてそう思ったんですか。」
そんな質問もしません。
その人が自然に話し続けるのを待ちます。
すると、最初は「かわいい」としか言っていなかった人が、
「実はね…」
と、自分でも気づいていなかった理由を話し始めることがあります。
私は、その瞬間が好きです。
本音は、質問で引き出すものではありません。
安心して話せる時間の中で、自然に育っていくものだからです。
思い返せば、これまで私の人生を変えてきたのも、そんな何気ない一言ばかりでした。
「スキーもやるよ。」
「常識、良識、見識を持ってやれ。」
「中間がその会社を見て貸してもいいと思うなら、俺はハンコを押す。」
「ラーメン頼んでおいたから、一緒に食べよう。」
どれも、長い話ではありません。
ほんの一言です。
でも、その一言を私は聞き流すことができませんでした。
その言葉の向こうには、その人の生き方がありました。
価値観がありました。
優しさがありました。
私は、その一言の背景を知りたくなります。
「なぜ、その言葉が出たのだろう。」
そう考えているうちに、気がつけば商品ではなく、人を見ていました。
数字ではなく、暮らしを見ていました。
「消費者」ではなく、「生活者」を見ていました。
そして今でも、私の仕事は変わっていません。
私は、アイデアを生み出しているわけではありません。
生活者の声を代弁しているわけでもありません。
人と人が安心して話せる場をつくり、その中で生まれた何気ない一言を、一緒に育てているだけです。
その積み重ねが、商品を変え、会社を変え、ときには人まで変えていく。
私は、その瞬間を何度も見てきました。
だから今でも信じています。
未来を変えるのは、大きなアイデアではありません。
誰かが何気なくつぶやいた、小さな一言なのだと。
だから私は、今日も「場」をつくる。
四十年以上前、友人の一言で始まった山との出会い。
銀行で出会った店長や、一人の社長。
そして、仕事を通して出会った数え切れないほどの生活者。
振り返ると、私の人生は「人との出会い」に育てられてきました。
私は、自分一人で今の考え方にたどり着いたわけではありません。
誰かの何気ない一言に立ち止まり、
誰かの優しさに励まされ、
誰かの考え方に影響を受けながら、少しずつ今の自分ができあがってきました。
だから私は、「答えは自分の中にある」とは思っていません。
答えは、いつも人との間にあります。
だから今でも、一人で考えるより、誰かと話す時間を大切にしています。
企業の担当者と生活者が同じテーブルを囲み、雑談をする。
「それ、面白いですね。」
「そんな見方があるんですね。」
そんな何気ない会話の中から、新しい商品やサービスのヒントが生まれる瞬間を、私は何度も見てきました。
だから私は、会議を開きたいのではありません。
アンケートを取りたいのでもありません。
私がつくりたいのは、
安心して本音が話せる場です。
そこでは、役職も、立場も、一度脇に置いてもらいます。
社長だから正しい。
生活者だから正しい。
そんなことではありません。
誰もが安心して「私はこう思う」と言える空気。
その空気が、新しい価値を育てていくのだと思っています。
時々、「どうしたらそんなアイデアが思いつくのですか」と聞かれることがあります。
でも、私はアイデアを考えている感覚はありません。
私は、ずっと「人」を見ています。
その人が何を大切にしているのか。
どんな暮らしをしているのか。
何に笑い、何に困り、何に心が動くのか。
その姿を見ていると、不思議と答えは見えてきます。
だから私は、これからも現場へ行きます。
企業へ行きます。
地域へ行きます。
そして、人の話を聞きます。
それが私の仕事だからです。
あの日、ウルトラマンに間に合っていたら。
そんなことを書きながら、一つ思い出す風景があります。
幼い頃、父に人生初の映画館へ連れて行ってもらった日のことです。
本当はウルトラマンを観る予定でした。
でも、上映時間に間に合いませんでした。
代わりに観ることになったのが、『男はつらいよ』でした。もしかしたら父親の作戦だったのかもしれません。
幼稚園児だった私には、内容はほとんど分かりません。
それでも、一つだけ心に残ったことがあります。
寅さんは、旅をしながら、人と出会い、笑い、また次の町へ向かっていました。
あの姿が、なぜか楽しそうに見えたのです。
今思えば、私はあの頃から、そんな生き方に惹かれていたのかもしれません。
企業へ行く。
地域へ行く。
人と話す。
また次の場所へ向かう。
気づけば、私も同じような毎日を送っています。
もちろん、私は寅さんではありません。
でも、人と出会い、その人の話を聞き、少しだけ未来が良くなるお手伝いをして、また次の場所へ向かう。
そんな仕事を、私はとても幸せだと思っています。
もし、あの日。
映画館へ間に合って、ウルトラマンを観ていたら。
私は今、違う仕事をしていたかもしれません。
少なくとも、困ったときに空を見上げる回数は、もう少し多かったかもしれません。
人生は、本当に不思議です。
友人の「スキーもやるよ。」という一言。
店長の「常識、良識、見識を持ってやれ。」という言葉。
社長の「ラーメン頼んでおいたから。」という優しさ。
生活者の何気ないつぶやき。
そして、幼い頃に出会った寅さん。
どれも、その時は人生を変える出来事だとは思いませんでした。
でも振り返ると、その一つひとつが、今の私をつくっていました。
だから私は、これからも人と話し続けます。
本音は、一人では生まれません。
人と人との関係の中で、安心して話せる空気の中で、少しずつ育っていくものだからです。
私は、その「場」をつくり続けたいと思っています。
それが、私がこれまで出会った人たちから受け取ったものを、次の誰かへ渡していく、一番自然な方法だと思うからです。