山で学んだ“さん付け”の意味──共創の場で本音が出る関係性とは

登山で学んだ「さん付け」の教えは、単なる礼儀ではありませんでした。 それは、危険な場面で誰もが声を出せる関係性をつくるための、現場の知恵だったのだと思います。

山で学んだ“さん付け”の意味

私は登山を趣味にしています。

その登山を教えてくれた恩師から、今でも忘れられない教えがあります。

それは、山では年齢や経験、立場に関係なく、互いを「さん付け」で呼び合うということでした。

当時の部活動といえば、どこも先輩・後輩の上下関係がとても厳しい時代でした。 先輩には絶対に逆らえない。 後輩は遠慮して当然。 そんな空気が、多くの部活動には当たり前のようにありました。

その中で、私たちの山岳部だけは少し違っていました。

先輩であっても「○○さん」。 後輩であっても「○○さん」。 学年や経験の差はあっても、呼び方だけは対等でした。

周囲から見れば、少し変わった部に見えたかもしれません。 実際、当時の感覚では「先輩にさん付け?」と不思議に思われることもありました。

私自身も最初は、それが単なる礼儀や独特のルールのように感じていました。

しかし、山を続けるうちに、その意味が少しずつ分かるようになりました。

「さん付けで呼び合う」という小さな習慣は、上下関係をなくすためというよりも、必要なときに声を出せる空気をつくるための知恵だったのだと思います。

山では、小さな違和感が命に関わる

山では、状況が刻一刻と変わります。

天候、体調、足元の状態、メンバーの疲労、ルートの判断、引き返すタイミング。 どれも、机上の計画通りにはいきません。

ほんの少し雲の動きが変わる。 誰かの歩くペースが落ちる。 足元の雪の感触が変わる。 「何となく嫌な感じがする」という小さな違和感が生まれる。

そうした一言が、チーム全体の判断を変えることがあります。

そのときに、経験の浅い人が「これは少し危ないのではないか」と言えない空気があると、チーム全体が危険に近づいてしまいます。

逆に、誰もが気づいたことを言える関係性があれば、リーダーの判断もより確かなものになります。

登山では、強い人だけが正しいわけではありません。 経験者だけがすべてを見えているわけでもありません。

後ろを歩いている人だから気づくことがあります。 疲れている人だから感じる変化があります。 初心者だからこそ、違和感として受け取れることもあります。

山の中では、そうした声を拾えるかどうかが大切です。

だからこそ恩師は、先輩・後輩という上下関係を強めるのではなく、互いを「さん付け」で呼び合うことを大切にしていたのだと思います。

ヒマラヤ登山隊の研究が示すもの

この話を思い出すたびに、ある研究のことが頭に浮かびます。

南カリフォルニア大学などの研究者による研究では、 ヒマラヤ登山に参加した56カ国・5,104隊・30,625人の登山者データを分析し、 階層性の強い文化を持つ国の登山隊ほど、登頂成功者が多い一方で、 死亡者も多い傾向があることが示されています。

つまり、強い統率やリーダーシップは成果につながることがあります。 しかしその一方で、下位のメンバーが違和感や危険を声にしにくい空気があると、 重大なリスクにもつながる可能性があるということです。

参考:Eric M. Anicich, Roderick I. Swaab, Adam D. Galinsky, “Hierarchical cultural values predict success and mortality in high-stakes teams,” Proceedings of the National Academy of Sciences, 2015. 論文ページはこちら

もちろん、登山にリーダーは必要です。 統率も、判断も、責任も必要です。

しかし、リーダーの判断が正しく機能するためには、現場の声が上がってくる必要があります。

「おかしいと思います」 「少し危ない気がします」 「このまま進むのは不安です」 「一度止まった方がよいのではないでしょうか」

こうした声が出ないチームは、見えないリスクを抱えたまま進んでしまいます。

山で大切なのは、誰が上か下かではありません。 今、この状況で何が起きているのかを、チーム全体で受け取れるかどうかです。

これは企業の共創の場にも通じる

登山での「さん付け」の教えを起点に、上下関係を越えて声が出る関係性が、共創の場で本音や違和感、小さな気づきを引き出し、選ばれる理由の発見につながる流れを示したグラレコ図解
山で学んだ“声が出る関係性”と共創の場づくり

この登山での学びは、企業の共創の場にも通じます。

共創セッションでは、立場の強い人、専門知識を持つ人、発言に慣れている人の声だけが大きくなると、本当に大切な気づきが見えにくくなります。

生活者の何気ない一言。 若手社員の違和感。 営業現場の小さな実感。 開発担当者の迷い。 売り場で感じている肌感覚。

そうした声が安心して出てくる場でなければ、価値共創は形だけのものになってしまいます。

共創とは、声の大きい人の意見を通すことではありません。 また、誰か一人の正解を探すことでもありません。

大切なのは、誰もが気づきを持ち寄れる場にすることです。

共創の場で大切なこと

  • 肩書きや経験年数だけで発言の重みを決めないこと
  • 小さな違和感や曖昧な言葉を急いで否定しないこと
  • 発言しやすい空気を、最初から丁寧につくること
  • 「正解を言う場」ではなく「気づきを持ち寄る場」にすること
  • 生活者、社員、現場担当者の声を同じテーブルに置くこと

心理的安全性は、きれいな言葉ではなく現場の条件

最近では、「心理的安全性」という言葉をよく聞くようになりました。

しかし、これは決してきれいな理想論ではありません。

登山でいえば、危険を避けるための現実的な条件です。 企業活動でいえば、変化に気づき、判断を誤らないための条件です。

上下関係が強すぎる場では、下の立場の人ほど本音を飲み込みます。

「こんなことを言ったら失礼ではないか」 「間違っていたら恥ずかしい」 「上司の意見と違うことは言いにくい」 「専門外の自分が言ってよいのだろうか」

そうして言葉にならなかった違和感の中に、実は大切なヒントが隠れていることがあります。

商品開発でも、マーケティングでも、組織づくりでも同じです。

生活者の変化は、最初から明確なデータとして現れるとは限りません。 まずは違和感として現れます。 何気ない言葉として出てきます。 「なんとなく好き」「ちょっと違う」「かわいい」「使ってみたい気がする」といった曖昧な表現として出てくることもあります。

その曖昧な声を拾えるかどうか。 そこから選ばれる理由を読み解けるかどうか。

そのためには、安心して話せる場が必要です。

上下関係をなくすのではなく、声が出る関係をつくる

ここで誤解してはいけないのは、上下関係そのものをすべて否定するわけではないということです。

登山でも、リーダーは必要です。 企業でも、責任者は必要です。 判断する人も、決定する人も必要です。

しかし、判断する人が正しく判断するためには、現場から情報が上がってこなければなりません。

そのために必要なのは、形式的なフラットさではなく、声が出る関係性です。

恩師が教えてくれた「さん付け」は、そのための小さな仕組みでした。

呼び方ひとつで、場の空気は変わります。 相手をどう扱うかが変わります。 発言のしやすさも変わります。

たかが呼び方。 けれど、されど呼び方です。

そこには、山という厳しい環境の中で、チームを守るための知恵がありました。

共創の場づくりも同じです。 どれだけ優れたワークシートやプログラムがあっても、安心して話せる空気がなければ、本音や違和感は出てきません。

価値共創は、方法論の前に、まず「声が出る関係」をつくるところから始まります。

共創は、誰もが気づきを出せる場から始まる

登山では、声を出せないチームは危険に近づきます。

企業活動でも同じです。

上の人の判断に従うだけの組織では、生活者の変化や市場の違和感に気づくのが遅れてしまいます。

「現場では少し違う反応が出ています」 「お客様はそこを評価していないかもしれません」 「この言葉では伝わっていない気がします」 「生活者は別の場面で価値を感じているようです」

こうした声が出てくる組織は、変化に強くなります。

そして、その声を受け止め、生活者との対話につなげていくことで、商品やサービスの価値はより現実に近づいていきます。

共創の場とは、立派な意見を言う場ではありません。

むしろ、まだ整理されていない感覚や、小さな違和感や、うまく言葉にできない気づきを持ち寄る場です。

だからこそ、場の空気が大切になります。

批判されないこと。 まず受け止められること。 肩書きではなく、一人の参加者として扱われること。 誰かの発言に相乗りして広げられること。

そうした積み重ねが、本音や違和感、まだ言葉になっていない価値の芽を引き出していきます。

まとめ:山で学んだことは、共創の場づくりにも生きている

恩師が教えてくれた「さん付け」の意味は、今になってより深く分かるようになりました。

それは、単に礼儀正しくするためのものではありませんでした。 先輩と後輩を同じにするためだけのものでもありませんでした。

山という変化の激しい環境の中で、誰もが必要なときに声を出せるようにするための知恵でした。

そしてそれは、共創の場にもそのまま通じます。

企業の中でも、生活者との対話の場でも、立場や経験の違いを越えて、気づきを出し合える関係性が必要です。

価値共創は、特別なアイデアを無理に出すことから始まるのではありません。

まずは、誰もが安心して感じたことを言える場をつくること。

そこから、本当に選ばれる理由が少しずつ見えてくるのだと思います。

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