戦争は可愛そう

戦争は可愛そう

僕は夏になると、子供のころ父から聞かされたこの話を思い出します。

 

昭和20年の夏。鹿児島の農村部にある国民学校4年生であった父は、夏休みの飼育当番として学校にいた。11人兄弟の末っ子である父には、親子ほど歳の離れた兄がおり、大好きだった兄のひとりは航空隊に所属し戦闘機乗りだった。そんなこともあり、上空に機影を見ると「兄ちゃんだ」といって手を振っていた。

この日もそうだった。プロペラの音が聞こえたので飼育小屋の掃除を止め、校庭の真ん中まで走って「兄ちゃん~」と叫びながら両手を振った。

いつもは、そのまま空高く通り過ぎる戦闘機だがこの日は違った。

機首を下げ、操縦士の影が見えたかと思うといきなり機銃掃射を受けた。敵機だった。弾丸が空を切る音、校庭や木造校舎に突き当たる音、窓ガラスが砕ける音が今でも耳に残っているそうだ。校舎を狙ったのか幸いにも弾丸は父には当たらなかった。

ところが次の瞬間、機体から黒い塊が落ちてきた。爆弾である。

爆風で飛ばされた。
すべてが真っ白に見え、左足が焼けるように熱かった。

爆弾の破片がふくらはぎを貫通し、膝から下は血に染まりふくらはぎからは肉片がぶら下がっていた。すぐに診療所に担ぎ込まれた。当時の田舎の診療所は設備なんてほとんど無いに等しく、麻酔無しで処置された。

幸いその後は、歩行にまったく影響はなく不自由なく生活ができたが、爆弾の破片が貫通した傷跡は今でも消えることなく残っている。

僕はいつか母になるであろう小学生の娘にもこの話をしたいと思っていた。先日実家に寄った時、半ズボンをはいていた父のふくらはぎの傷に娘が気づいたので僕は父に代わってこの話をした。

黙って聞いていた娘は、涙をこらえていたが大粒の涙が落ちるのを父に見られたくなかったのかソファーに顔を伏せて泣いた。

帰りの車の中でお気に入りのCDに合わせご機嫌に歌っている娘に僕は言った。

「戦争っていやだね。こわいよね」

娘は歌うのを止めちょっと考えてから
「戦争ってかわいそう」と答えた。

「そうだね。戦争はかわいそうだね」僕は頷いた。

まだ娘には少し早いかなと思ったけど、この話をして良かった。そう思った。

子供の頃、僕がこの傷を見るたびに父はこの話をした。そして付け加えた。「当たり所が悪ければ死んでいた。お前も生まれなかった。だから俺らの人生みっけもん」って。

「俺ら」って必ず言った。自分だけじゃなくて「俺ら」。多くの人に大きな傷を残す。その意味が分かるようになったのは子供が生まれてからである。それが戦争。



中間祥二 株式会社こらぼたうん代表取締役